個と性の話。

「個の時代」という言い回しをご存知でしょうか。最近耳にするように思ってましたけど、ここ10年くらいで広がってきたようですね。

「自他ともに個性への尊重が前提としてあって、ある仕事を協力、あるいは独立して行う」といった認識です。これが成り立つには「個々人誰もがみな(ある種の仕事を完結しうるほどの)個性を持つ」のが必然のように思えます。あるいは「個々人の個性が十分に尊重された状態でなければ世界中のどの場所でも仕事はなされてはならない」というところでしょうか。

個々人を個性によって取り上げるのならば同時に性別を特性として捉えるのが個々人の個性への尊重に一役買うはずです。

つまり「男性は皆強く、たくましくて、実行力がある」ことと「女性は皆美しく、かわいらしくて、従順である」とすれば良いのです。

良かねーわ。これじゃ中世じゃねーか。なんでこうなったんだろ……。「美しくない女性もいる!」とかそういうことを言いたいわけではないんです。これだと結果を出している「女性のリーダー」や「女性のフリーランスワーカー」が男性ということになってしまう。

男性と女性が混じる現場で仕事をするとは?仕事の前に男性性、女性性を認知することに価値があるか?ここにヒントがあるように思います。

ここ・シャネルは1883年生まれの美しい女性です。当時の女性の服装は男性が求める美を反映する装飾が施されていました。彼女はその装飾を剥ぎ取ったシンプルな衣装を提供して名声を得ると、第一次大戦中には乗馬、狩猟、船遊びに勤しむエリート階級の装いと、動きやすいジャージー生地を組み合わせたファッションで戦時下で働く女性たちに受け入れられました。

1954年に再びデザイナーとして復帰し、同じ理念においてフランスで酷評された後、アメリカで受け入れられました。アメリカでは世界に先駆けて「女性が自由に働くこと」がブームになっていたことがその一因です。

ここ・シャネルの生き様は覇道を歩みたいという欲求の表れです。男性的であったか?女性であることを生かした道でした。女性であったか?性別は超越していました。彼女のファッションは着るひとに超越を求めているように見えます。

仕事を前に性質としての性認知はあってもそれが「どの性別によってもたらされたのか」は全く問題ではありません。仕事がこなせれば良いのです。

個の時代にあっては古来からの固定観念によらず、超える性概念を持ち、孤独な仕事であっても、co-operationであっても、「個性を確かに持っているんだ!この私は!」という根性によって小銭を姑息に刮いでいきたいですね。

就労継続支援A型事業所(株)Grow-up 利用者 Y.I