風邪を友と知りぬ

病気と習慣の話。

成人病が生活習慣病と呼ばれるようになってもう一世代分の年月がたったでしょうかね。病気に対しては普段から予防的に気をつけておくのが最もいいようです。早朝から走っているひとなんかがそうですね。爪の垢を煎じて飲みたいです。

習慣が病気を招くということですね。「久しぶりに風邪をひいた」ならそのひとの過ごし方で最近体に無理させたとか不摂生があったということになるようです。そのことに気づかせてくれるなら風邪そのものを嫌悪する必要もなさそうです。たびたび風邪をひくのならばそのひとの習慣には大いに問題があります。

そのひとが自身の習慣を変えられないとしたら?見方によってはそのひとが好きこのんで病気を求めているのと同じでしょうね。完全に自己責任です。自己管理ができていてこそ大人であり、社会人です。今の時代は「酒もタバコも女もやらず100まで生きる」ような健やかさこそが求められます。

そんなバカな。

ある夫婦が共働きで子供が数人いたとして、病気と無縁でいられるかな……。

朝も夜もなく働いて、酒を抱きこんで眠りについて、吐き気とともに目覚めて、子供の世話をして、そして、その子供が見事に育って独立したと思ったら、その両親に波打つように病が襲ってきたとしたら、その病は彼らに責任があることになってしまう。

ひとを病む習慣に陥らせるのは環境であって大抵は社会です。ただ、社会は責任を取れるでしょうか……。社会の中でひとが病むのは野生動物が飢えて死ぬようなもので当たり前な、自然なものなのかもしれません。

ひとが病むのは社会の構造のゆえにです。ひとが病むさまを見たくなければ構造そのものに手を入れるべきです。構造を変えるためには?難しいかもしれませんが「病気になりたくない」という強い意志を持って病気になりそうな習慣を個人そのひとが改善していくことべきです。それが社会へ訴えかけることになります。つまり……。

ありゃ……。つまり、個人が自分の健やかさを得るために苦労して病気になりにくい習慣を得ようとすることが、皆が病気になりにくい社会を作る一手になるの?自己責任に追い立てられて健やかさを求めると何故か社会貢献になるわけだ。

社会のせいで悪習慣に堕ちてしまったひとを誰も責める権利はないけれど、悪習慣にある人を助けるためには多少でも余裕のある人が健やかな習慣を求めるのがいいみたいね。とりあえず爪切っとくか。誰か飲む?

就労継続支援A型事業所(株)Grow-up 利用者 Y.I


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